3.11 忘れてはいけない「あの日」
2011/3/11 14:46
日本に歴代史上最大の未曾有の大災害東日本大震災が発生した。
発生当日、僕はいつもどおり仕事で業務をこなしていた。
職場の立地的に、大型トラックなどが通過しても若干揺れるので、揺れ始めの時点では、とくに意識はしていなかった。
しかし、一向に揺れが収まる気配がない。
職場もざわつき始めた。
地震当日の状況をvisual化したもの
Yahooニュースを見ると巨大地震発生の記事!
とてつもないことが発生したことに気づいた。
津波警報も出ており大津波警報という、初めて見る津波の警報が。
と、その1時間後くらいに、超巨大な波が町を飲み込んでいく映像が飛び込んできた。
絶句。
とても現実とは思えなかった。
遠方にいる自分たちでさえ受け入れられないのに、現地に居た方々はもっと信じられない光景だったに違いない。
- 地震の影響で鉄道などがストップし、帰宅難民の人ごみ。
- コンビナートの石油プラントでの大火災。
- 町を飲み込んでいく大火災。
- 津波に飲み込まれ壊滅した街並み
- 津波の影響で水素爆発した福島第一原発
- 津波の跡地で家族を探す方々
- 自衛隊・ボランティアによる支援
- :
なにもかもが絶句。
安全神話を誇っていた原発の信頼が崩壊。
日本の電気のほとんどを賄っていた原発。
地震の影響で、影に隠れていた問題点が明るみに出た。
実は関係者は気づいていたんではないか?と思ってしまう。
リスクヘッジの甘さ。
問題が起きて人の手で解決できないものについては、
最大限のリスクヘッジは考慮しておくのが当然と思うが。
発生しないことが前提の避難訓練とか。
原発関係者のエライ人は、東京の守られたところから話しをするだけで、
現地には足を運ばない。とか。
エライ人と現場の人との温度差。
これは、どこの業界でもあることかもしれないけど、やるせなくなった。
そして、これまで当たり前に生活してきた日常がなくなる。
居心地、プライバシーなど全く皆無な避難所生活。
車、コンビニ、携帯、冷暖房・トイレ・お風呂、、、、
いまの日本の生活必需品といえるものが、何一つとして使えない。
テレビを見ながら何度も涙した。
できることであれば、現地に行ってボランティア活動をしたかった。
でも、なにもできない自分に対して、非常に歯がゆく感じた。
人を助ける。という気持ちは大切にし続けよう。と改めて思った。
あの日のことは、絶対に忘れてはいけない。
これからも、出来る支援はし続けていきたいと思う。
小さいことかもしれないけど、被災に合われた方々の、なにか1つでも力になれれば。
あの日のことは、絶対に忘れてはいけない。
明日の誠市でも復興支援関連のイベントあります。
是非ご協力をお願いします!、
2011/3/11 14:46
黙祷します。
Don’t forget Tohoku Earthquake(2011/3/11 14:46)
ハピーエコタウンプロジェクト
from 鯖江NPOサポート
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