日記/生活

阪神・淡路大震災から21年 なにが変わったのか?

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揺れは未明に突然に

21年前の未明、大きな地震で目が覚めたのをいまでもよく覚えています。当時は高校生。普段は温厚な父親が真剣な表情で、家族の顔を見え歩いていました。

揺れた直後くらいは、「また揺れるのかな~」と思いながら、布団の中にいたのを覚えています。明るくなってテレビを付けてみると、そこに写っていたのは地震の被害をモロに受けた地域の状況。

ビルは崩れ落ちて大量の火事が発生し、地震の大きさが高校生でも十分に理解できるものでした。

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大学前期試験にも特例措置

時期的にちょうどセンター試験が終わった直後で、前期試験にも影響が出ました。関西エリア(大阪・兵庫)が試験会場の学校では、学校自体が崩壊したり、交通機関が麻痺したり混乱が続いており、前期試験をやっている場合ではなく、別日に変更などの措置が取られたのを覚えています。

人類は天災には勝てない

どんなにすごい人でも、どんなにすごい金持ちでも天災には勝てません。人間は所詮”地球”という土台の上で生活していますので、土台自体に問題が起きると、人間はモロに影響を受けてしまいます。

いまでは気象予報システムが進化し、地震の予測などもできるようになってはいますが、それでも●秒までとかというレベル。

未来の地球のご機嫌を伺うことなんて、かなり難しいことなんです。

どんなに科学が進歩しようとも、どんなに教育レベルが進歩しようとも、災害の前に必要なのは、人と人とのコミュニケーションと、助け合いの精神。つまりアナログな社会なのです。当たり前のアナログがあって、コミュニケーションを取るための電話やインターネット基盤があるのだろうと思います。

21年経ってなにが変わったのか

高校生だった阪神・淡路大震災、30過ぎていた東日本大震災の2つの震災を経験し、自分なりに変わったポイントとしては、3つあります。

家族の逃げ場の意識づけ

震災があった場合、状況によっては動かないほうが良いかもしれませんが、基本は逃げるしかありません。

震災ではケーススタディが出来ないので、その状況状況に応じた対応と取れるのがベスト。我が家には障碍児がいますから、純粋に逃げたとしても行き場には限界もあるかもしれません。

どの逃げ場が我が家に適しているのか。100点満点じゃないのは当然としても、少しでも落ち着けるところに逃げたいですよね。

 

震災時の対策セミナーへの参加

地域の公民館などで開催される防災セミナーへも参加するようになりました。避難経路マップや防災グッズの紹介など、いろいろ有益な情報が得れます。

話を聞くだけの時のほうが多い気もしますが、知らないよりはぜん全マシです。知っていて損のない知識ですから、積極的に知識を蓄えるようにしています。

 

非常食の味に慣れる

非常時なので、いつもどおりの食事が出来ない可能性も十分にありえます。非常食を取って空腹を凌ぐこともあるかもしれません。

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非常食は美味しくは無いと思うので、味に慣れるのも大切かなー。と思って、たまーにですが、非常食を食べています。

最初は美味しく感じませんでしたが、食べているうちに慣れてきて、美味しくも感じれるようになりました。子どもたちも最初は如何わしい顔をしていましたが、徐々に慣れてきて食べるようになりました。

食糧難になった場合、最優先は女性や子どもたちの空腹を凌ぐことです。非常時に初めて食べて、美味しくなくて食が進まない。。。では非常食の意味がありませんので、味に慣れるのも重要だと思うんですよね。

 

いつ何時来るかわからない天災・地災ですから、少しでも知識を蓄えておきたいですよね。あと、ちょっとした豆知識じゃないですが、生活の知恵なんかも蓄えておくと役に立つかもしれません。

 


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