本厄を侮ってはいけない
今年で数え年42歳になり本厄真っ最中なのです。年初に初詣のときにお参りをしたものの、所詮は迷信でしょ?と余裕ぶっていたのですが、実際にはそうでもなかったので、そのお話をしたいと思います。
本厄(厄年)に根拠はない
厄年には根拠はないとはWikipediaにも書かれてています。あくまでも風習であり習慣であると。
ただ、年齢的に人生の変換点にさしかかるので、肉体的にも社会的にもいろんな面で節目なのだろうとは思います。節目を迎えたところで、変化していくなかで良いことも悪いこともあり、悪いこと(いままで出来ていたことができないとか)が重なりやすくなるんだろうと。そう理解しておりました。
1つ1つの行動を慎重にして、無理しなければ特に問題ないだろうと思っていたのですが、身内にいろいろ問題が起きたのです。それが本厄と関係あるかと言われると不明だけど、なにかしらの因果関係はあるのかもしれません。
母親の入院→退院
まず最初の出来事は母親の入院。今日時点で退院しているものの、今年の3月から9月まで福井大学病院に入院していました。
精神的な疾患を患い入院したのですが、徐々に回復していまでは自宅療養をしています。少しでも退院意欲を掻き立てようと毎週、福井大学病院まで通いました。鯖江からだと片道30分はかかるので、お見舞いして往復すると最低2時間は使ってしまいます。
とはいえ、徐々に回復しているのは見て取れていたのです。一回途切れてもとに戻ってしまうのも嫌だったので毎週通うことになったという感じです。いまではすっかり距離にも慣れてしまいました。
9月末に退院して、数回の外来を受診するのみなので、年内には落ち着きそうです。
父親の入院→手術→退院
母親が退院した矢先。父親が入院することになったのです。入院理由は腰の手術。もともと激しい腰痛に悩んでいて、名医がいると噂を聞いた富山の病院で思い切って手術をすることにしたのです。
父親の場合は痛みの原因となる部分を切ってしまう手術なので、そこまで心配はしていませんでした。ただ、父親は網膜色素変性症という病気で目がほとんど見えないのと、富山の病院ということで距離があるのと、それくらいでした。
入院も1週間程度と聞いていて、予定通り10/14に退院しました。行きは目が見える知人と一緒にいったので良かったのですが、帰りは1人(つれは退院まであと1週間かかるそう)。盲人が一人で高岡から帰るのはさすが不安だったので、10/14で調整してもらって迎えに行ったのです。
腰の痛みもだいぶ取れて晴れやかな気持ちで帰ってまいりました。やってよかった!
長男の癲癇→救急搬送
とある金曜日の夜。僕はたまたま深夜残業確定の日。うちの長男が自宅で発作が起き、そのはずみでオーブンレンジに頭を強打してしまい、脳震盪気味に失神したのです。対処法もわからず、どこに連れて行ってよいかわからなかった妻は、迷わず救急車を呼び済生会病院に搬送。
原因は「癲癇(てんかん)」
発達障害を持つ子供はなりやすいそうです。我が子は発生頻度が少なく年に1回くらいなのです。前回はちょうど1年前くらいに学校で発症したので事象を見るのは初だったのです。癲癇は落ち着いてしまうとケロッと復活するので、僕が病院に駆けつけたときには、ケロッとしておりました。
後日脳波検査もして問題なしと診断されて一安心。来年の秋くらいに再発しそうですけど。1回症状を見てるので、次回は対処できそうです。
<癲癇が起きたときの対処法>
- 発作を確認したら速やかに寝かせる(もしくは座らせる)
- 30秒以内に痙攣が収まればそのまま安静に。
- 1分以上痙攣が収まらなければ救急車を呼んで病院搬送
救急車で搬送するときに、かかりつけ医や過去に受診経験がある病院があれば、救急隊員に告げればそこに連れてってくれるそうです。毎回病院の新規開拓をするよりも、1度でも受診経験がある病院のほうが知見もあるしデータもあるし対処がスムーズになるそうです。
本厄は侮ってはいけない
と、こんな感じで、自分自身には特に厄らしいことは起きていませんが、身内に立て続けに置きました。どれも大事にならず、いまでは回復しつつあるので良かったのですが、病院関連で振り回された1年になりました。
来年本厄を迎えるあなた!心して本厄をお迎えください。
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